【今の私ができるまで】最終話・第7話 私が写真家になったワケ。

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「お父さん、また病気なんよ。」

電話で母から聞いた言葉が信じられなかった。

同時に、「いつから」「なぜ」と、疑問でいっぱい。

すうっと体温が下がり、青ざめるような感覚。

「またか」

フラッシュバックする幼い頃の父の暴力。

怒りと恐怖に歪んだ形相の父の顔が浮かんだ。

いてもたってもいられなくて、すぐさま実家に帰った。

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家に帰ると父の様子はやはりおかしかった。

独特の顔つき。

室内に取り付けられたたくさんの鍵。

私と話している時は少し穏やかな感じはしたが、

今までの父とは違っていた。

被害妄想と、強い思い込み。疾病恐怖。

当時のような暴力こそないが、症状は鬱と統合失調症そのものだった。

父本人に病気の自覚はない。

病気、治療について詳しい友人に聞いて教えてもらったり、自分なりに調べた。

なんとか診察を受けさせても、本人は入院する意思も治療する意思も無く、

母も「どうしようもない」と諦めていた。

私が実家にいると、父は少し安定しているようだった。

「ああ、私がもっとそばにいなくちゃ。」

「私がなんとかしなきゃ。」

母に聞くと、私が結婚してから少しずつ症状が出始めたとのことだった。

きっと父は、私が結婚して遠くに引っ越してしまって寂しかったのだろう。

「再発は私にも責任があるんだ・・・。」

そう思った。

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私は会社を辞める決意を固めた。

大切なものを間違えたくなかった。

仕事より、家族、父が大事だと思った。

転職を理由に退職を申し出ていたが、

父の病気を理由に、早く辞めさせてほしいと上司にお願いした。

「お願いします。12月10日で最終出勤にしてください。」

2015年1月20日、12年勤めた会社を退職した。

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退職後、転職をするか、独立するかまだ悩んでいた。

しかし、岡山に頻繁に帰る今の状況では会社勤めは無理だった。

新しい方向性を探りながら、自分のスキルを磨く日々。

その中で最ものめり込み、ほぼ独学で学んだのは写真。

私は退職金のほとんどをカメラ機材を買い換えるために注ぎ込んだ。

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フードコーディネーターの知識を生かし、

スマホでスイーツの写真を撮るレッスンなども開催した。

友人から写真を撮ってほしいと依頼されることもしばしば。

退職して半年後には幾つか写真のお仕事をいただくようになっていた。

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埼玉と岡山を往復する生活になった。

父はみるみる衰弱していった。

免許の更新があるから写真を撮ってくれと言ってきた。

父がそんなことを言うのは初めてだった。

実家の襖の前で、椅子に座った父にカメラを向けた。

私は少し緊張していた。

親の写真を撮ることほど難しいことはないと思った。

レンズを通して見た父は、痩せ細り弱々しく座っていた。

きっと父は、死を意識して遺影として使えるようにと撮らせたのだろう。

これがプロとして撮った、最初で最後の父の写真だった。

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そして昨年6月に祖母を、9月に父を見送った。

父は最後まで

「仕事をがんばりんさい。」

「好きな仕事を見つけたんならそれでええ。」

そう言って応援してくれた。

幸い父の最期はそばで看取ることができた。

死を覚悟していた私は、不思議と涙は出なかった。

葬儀は淡々と終わり、家には母だけになった。

ふと、父への感情が湧いてきた。

幼い頃の父に対する怒り。

仕事を応援してくれた父に対する感謝。

様々な感情があった。

それでも、私にとっては「大好きなお父さん」だった。

初七日まで岡山で過ごしたが、

私は父の言葉通り仕事をするために埼玉に戻った。

葬儀で岡山にいる間、いくつか撮影の依頼を頂いた。

父が後押ししてくれているんだな。そう思った。

私は写真の道に進む覚悟を決めた。

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私はホームページを自作で開設。

「SWEETS PHOTO」としてスイーツと料理専門のフォトレッスンを主宰した。

料理と写真という切り口で、私らしいことができないかと試行錯誤してやってみた。

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大手企業で撮影のお仕事や、専門学校で写真の撮り方の授業もさせていただくこともあった。

実績も経験もほとんどない私に依頼してもらえる!

嬉しいと同時に、プレッシャーの方が大きく、

たくさんの学びを得た。

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営業活動は一切しなかったけれど、私が撮る女性の写真は口コミでお客様が来てくださるようになった。

大切な友人に支えられ、お客様とのご縁が広がり今がある。

出会いと別れを繰り返し、

ひとつひとつ自分の意思で選択してきた。

受動的ではなく、能動的に生きると決めた。

悩み、苦しむこともまだまだたくさんあるけれど、

私は今「写真家」としての自分がとても好きだ。

すべてを周りのせいにして生きていた時の私は、

それなりに頑張って生きていたと思う。

けれど、すべてが内にこもっていて、自分で自分の人生を生きている実感は全くなかった。

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私は自分を内観し、表現する手段として写真を撮る。

個展の作品撮りにフランスに飛び、モンサンミッシェルの夕日を見ながら

「ああ、生きているってこんなにも素晴らしい、ありがとう。」

一人で写真を撮りながら、涙と感謝が溢れた。

私は私の人生を生きている。

それだけで幸せだと気がついた。

私には私のストーリーがある。

あなたにはあなたのストーリーがある。

一人一人、それぞれが主人公なのだ。

どんなストーリーの主人公なのか、いつも写真を撮るたびにワクワクしながらカウンセリングをしている。

カメラを向ける時、

ファインダー越しに被写体の最も輝く瞬間を写真に撮っていく。

写真家として生きることを選んだ私は今とても幸せで、

これからも素晴らしい世界に出会えることに感謝でいっぱいだ。

これまでのすべての出会いに、ありがとう。

そしてこれからもよろしくね!

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【今の私ができるまで】  おわり。

⑴天の境目