2009年、一眼レフカメラとの出会い。
私が一眼レフカメラを手にしたのは今からちょうど7年前。
夏の賞与で念願の!一眼レフカメラを買った。
コンパクトデジカメから、より綺麗な写真を撮りたかった。
「自分の愛車を風景の中でもっとカッコよく撮りたい!」
ただそれだけの理由だった(笑)
初めて手にした自分だけの一眼レフカメラ!
「このカメラを持って愛車と景色を撮りに行くんだ!」
どんな景色の中で撮るか、ワクワクは尽きなかった。
私は休みのたびに遠出して愛車と風景の写真を撮ることが楽しみになっていた。
過去最高の私のクルマのベストショットは、夜明け前の富士山の麓での写真。
この時は大阪に住んでいて、夜大阪を出発して1人富士山に向かった。
湖畔のすぐそばにクルマを停め、夜明け前から日が昇る時まで何枚も写真を撮った。
静かでひんやりとした空気の中で響くシャッター音。
「イメージ通り撮れた!」と初めて手応えを感じた。
そこから一気に、私は写真の虜になった。
車仲間のオフ会や、ドライブで遠出する時には必ず車にカメラを積んで行った。
趣味が「料理」と「ドライブ」だった私の趣味に、いつの間にか「写真」が加わった。
クルマの仲間と集まる時は欠かさず持って行き、写真を撮ってはブログにアップした。
喜んでカメラマンを引き受けた。
写真を撮って喜ばれる、この体験が今の私の原点。
2013年、一人旅。自分を信じる旅。
長期休暇を利用し、私は一人でカメラを持って旅行に出かけた。
夏の終わりに訪れた宮古島の、海と空の青さに感動した。
レンタカーにカメラを積んで、一人で島中を走り、写真撮り、海に潜って、美しい景色を目に焼き付けた。
当時会社員の私は、土日が休みではなく、友人とも当時付き合っていた彼氏とも休みが合わなかった。
憧れの地は学生時代に訪れたヨーロッパ。
「ヨーロッパに行きたい・・・でも一人でなんて行けない。」
「友達と休みが合わないから、私は海外旅行を諦めなきゃいけない。」
たくさんの理由を自分で考えて、都合のいい理由をこじつけて行かなかったヨーロッパ。
「祥子ちゃん、自分で行くって決めればいいだけじゃない」
友人がそう言って背中を押してくれた。
「私は私の力で選ぶことができるんだ。私は私のやりたいことを出来る力がある!」
そう決心し、ドバイ経由フランス行きのチケットをとった。
カメラを持って行きたい場所へ行き、景色を見て歩いた。
ニース、エズ、モナコ、パリ、ロワール地方。帰りにドバイへ寄って半日観光した。
初めて訪れたフランス。
憧れていた、コート・ダジュール、ロワールの古城巡り、TGV、パリ。
初めて見る、アラブの砂漠、ドバイの非現実的な大都市。
かの有名なビル、「ブルジュ・ハリーファ」の展望階へは、事前にネットでチケットを予約して登った。
一人で列車に乗り、予定を立てて、行きたいところへ行き、見たいものを見る。
一人旅ならではの醍醐味は、現地の店員さんとのコミュニケーション。
「お一人ですか?」
ドバイで一人で飲んでいると、話しかけてくれたボーイさん。
彼はシリアからの出稼ぎで、家族とは離れ離れに暮らしていると教えてくれた。
日本に居たら出会うことのないリアルな世界を肌で感じた。
「ああ、世界は広いんだ。」
当たり前のことを、私は何もわかっていなかった。
2013年、結婚。ハラダシンジさんの写真に出会う。
このフランスの旅から1年後、私は結婚した。
結婚式で撮影してくれた友人であり、写真の師となるハラダシンジさんの写真の美しさに感動した。
この写真が出来上がってきて、見せてもらった時、私は息をのんだ。
え???
これが私???
こんなに綺麗なの?
とても嬉しかった。
ああ、写真のチカラってすごい!!
もっと人物を撮りたい!
もっとちゃんと撮りたい!
もっともっと上手くなりたい!!
そう強く思ってハラダさんに教えを請うた。
私は今まで、なんていい加減に写真を撮っていたんだろう。
写真を撮る「意図」「感性」「技術」すべて私には足りない!
痛烈に感じて、嫉妬と恥ずかしさでいっぱいだった。
京都のハラダ先生と埼玉の私。
チャットを使って音声での指導、インターネットに写真を共有して添削してもらうことが続いた。
だんだんと、ハラダ先生に合格点をもらえるようになってきた。
「自分が撮りたいと思う写真」が少しづつ見えてきた。
*****
食品業界の経験が長い私は、関西から関東に引っ越してきて何かもっと今の殻を破りたいと思っていた。
「フードコーディネーター」
そんな仕事が存在することを知った私は、フードコーディネータースクールの門戸を叩いた。
仕事が終わった後、夜間に学校に通った。
授業はレシピ作成や、テーブルコーディネート、スタイリング、フード撮影、食器の歴史など幅広く学んだ。
中でもフード撮影の授業が一番好きだった。
レシピを考えることよりも、どうやったら美味しそうに撮れるのかを考える方が楽しかった。
会社はいつしか社風が変わってきていた。
今まで自分がお客様のためにと思ってしてきた仕事は、
「今の会社の方針とは違う。君の仕事は評価できない。」
上司の評価は過去最低だった。
良かれと思ってした仕事は、否定されてしまった。
わたしはもうこの会社に必要のない人材なのだ。
「もっと私にしかできない仕事をしたい。」
次第にそう思うようになり、私は会社の退職を決めた。
夫と両親に、「会社を辞めます。」そう伝えた。
しばらく会社から説得されたものの、父の病気により退職は受理された。
2015年、私が本当にやりたいコトは何だ?
会社員生活を頑張ったご褒美に訪れたスペイン。
自分への誕生日プレゼントは旅行を選んだ。
ステンドグラスから映し出される光は、まるで虹を写したような美しさだった。
私はヨーロッパの建築や景色に強く惹かれた。
私は迷っていた。
転職をするならば、今までのキャリアを活かして経歴の延長上にある仕事を選ぶべきだった。
それって、私が会社を辞めた意味があるの?
「自分の価値はなんだ?今までのキャリアってなんだ?」
私に価値があるのか自体、自信がなくなってくる。
私でなくても、誰でもできる仕事。役割を担うだけの仕事。
私はそれが嫌で会社を辞めたのではなかったか?
会社員としての安定した暮らしと収入があれば安心だし、生活は確保できる。
しかし私は、そうではないものが欲しかった。
「私は一体何がしたいのか?」
答えは出なかった。
私は「本当に自分がやりたいこと」を模索した。
身近な家族の「今」を撮りたいとも思った。
家族に迎えた猫のみーちゃん、犬のあーちゃん。
家にいるときこそカメラを出して、愛らしい表情をたくさん撮った。
2015年6月、友人から初めての撮影依頼。
友人からプロフィール写真撮影会の写真を撮ってほしいと依頼された。
「私でいいんですか??」
最初、なぜ私に依頼されたのかわからなかった。
「何人かカメラマンの友達知ってるんだけど、祥子ちゃんに撮ってほしいなと思ったの^^
私の写真撮ってもらうなら祥子ちゃんかなと思って。」
飛び上がるほど嬉しかった。
他の誰でもなく、「私」を選んでくれた!
「喜んでお受けします!」
答えは即答だった。
この撮影会で、私は女性を写真で幸せに出来ることに気がついた。
目の前にいる人に、カメラを向ける。
ファインダー越しに会話をする。
一対一になった時、この人は何を幸せに感じているのか?
今どのように生きているのか?
私はこの人のどこを美しいと感じるのか?
一生懸命感じ取り、写真に収めていく。
ふわっと彼女が開くとき。私はシャッターを押す。
「撮れた!」
そう思った写真を、相手に見せる。
「ほらっ!こんなに綺麗ですよ!」
「わーすごーい!綺麗ー!!嬉しい!!」
ほぼ全員が同じ反応だった。
この撮影会に参加してくれたみなさんは、私の写真をとても喜んでくれた。
初めてのカメラマンとしてのお仕事はとても幸せだった。
「写真で女性を幸せにしたい。輝く女性の自然な笑顔を写したい。」
被写体の女性の生き方に共感し、心から応援する。
私の撮り方のスタンスが決まった。
それからしばらくして、料理と写真のコラボとして講座を企画した。
講座ではスイーツの撮り方、お料理の撮り方をレクチャーした。
「美味しさ」を写真で伝えることの活動をしたのだ。
スマホでの美味しそうに見える撮り方のコツ、
カメラでの撮り方のテクニック、
スタイリングのコツなどを私にできる範囲で一生懸命お伝えした。
「スイーツフォト」としての活動は幾つか成功したが、なかなか大勢の人に伝えるというところまでいかなかった。
「私の活動は求められていないのかもしれない。」
フリーランスで続けていくかどうか、常に葛藤していた。
病気の父が珍しく電話をかけてきた。
仕事中で出られなかったわたしは、着信に気がついて折り返し電話した。
「どうしたの?」
普段通りの会話。
「なんでもないんじゃけどな。
祥子ちゃん、好きな仕事見つけたんだったら、仕事頑張りんさいよ。」
「わかってるよ。ありがとう。まだ仕事中だから切るね。」
涙声になるのを一生懸命こらえて、明るく振舞って電話を切った。
その3ヶ月後、私は父を看取った。
2016年、大阪で個展を開き写真家として覚悟を決める。
スイーツフォトを教えることよりも、「女性を撮ってほしい」と求められることが断然多くなった。
料理に対する愛情より、女性の幸せを願う想いが強かったのかな?と今は思う(笑)
導かれるままに、自分の使命を模索し続けてきた。
今の私は「輝く女性の自然な美しさを写す写真家」として役に立ちたい。
そして、大好きなヨーロッパの景色を、私の世界観とともに発信したいと思う。
モンサンミッシェルの写真は、私が今まで撮った作品の中で最も力強く、私らしい写真となった。
私が生きていく支えになる、そんな作品になった。
そして、友人と思い出の作品にもなった。
アーティストとして、写真家として生きていく。
そう宣言できる写真が撮れたことは、今年一番の幸運だ。
フランスに写真を撮りに行くことを決めた時、
「水面に映り込む、幻想的なモンサンミッシェルの写真を必ず撮る!」
と決意した以上に素晴らしい景色に出会えた。
「世界が優しく私を応援してくれている。」
感謝でいっぱいだった。
おかげで今、私はたくさんの人に支えられ、写真家として生きている。
私が生きる使命を教えてくれたのは人だから。
「生かされている。」
そう感じながら、私は今写真を撮っている。