【今の私ができるまで】第2話 10代の私

今のワタシができるまで。

励ましのコメントやメッセージをいくつか頂戴しました。

とっても嬉しい!

本当にありがとうございます!

 

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小学校低学年くらいの頃は、統合失調症の父が怖かった。

夜になると恐怖や被害妄想からよく母へ暴力を振るっていた。

隣の祖母宅へ逃げて、夜を明かすこともあった。

大好きなお父さんが夜は怖くて仕方がなかった。

症状が悪化した父は仕事ができなくなり、仕事を辞めた。

当然家計は悪化し、うちで内職をするようになり、

やがて母は近くの会社へ勤めに出るようになった。

 

私はいつもおばあちゃんと一緒に、夜ご飯の支度をするのが日課だった。

 

年子の兄とは、喧嘩ばかり。

お父さんにも、お母さんにも、甘えられなかった。

ただ、寂しかった。

 

寂しさを絵を描くことや、小説を読むことで紛らわしていた。

 

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小学6年生?

小学6年生の頃のワタシ

写真の日付は91年8月。

この頃は写真が嫌いで、撮られることを非常に嫌がった思春期だった。

 

父や兄の影響で大好きなスーパーカーやレーシングカーが岡山に来た時の写真。

全然笑顔じゃない(笑)

ぶすっとして、嫌々撮られている感満載。

「ダサい自分がキライ」

「デブ・毛深いといじめられ、まさにそんな自分がキライ」

自分なんて大嫌いだ。

好きなのは、小説の中の世界や絵を描くこと。

現実の自分は、到底受け入れられなかった。

この頃の楽しかった思い出は、今は何も記憶に残っていない。

楽しかったことがあったのかすら覚えていない。

 

 

 

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中学に上がる頃になると、父の症状は良くなっていた。

楽しい!と思えることがようやくできたのは中学、高校の頃。

それは音楽との出会いだった。

父はクラシック音楽が好きで、家で大音量でウィーンフィルのニューイヤーコンサートのビデオをつけていた。

その音楽の中で、なんとなく惹かれた楽器がフルートだった。

田舎の中学校だったが、吹奏楽部があり、入学と同時に即入部。

中学から高校時代は、毎日ひたすら音楽!そして絵を描いていた。

 

楽しい!面白い!もっと上手くなりたい!

吹奏楽、フルート。

音楽を演奏する時の一体感!

音楽を通じた出会い。

なんて楽しいんだろう!

音楽との出会いは、自分の存在価値を与えてくれた。

上手く演奏すれば認められる。

自分よりももっと上手い仲間たちがいる。

目標ができ、仲間ができ、吹奏楽を通じて、私の世界が少しづつ広がっていくのを感じた。

心と体が震えるような瞬間が、音楽にはあった。

同時に所属していた油絵クラブで絵画を学び、吹奏楽で音楽を奏でる。

 

高校時代には吹奏楽を通じて、海外遠征に行くこともできた。

IMG_0034

アデレードのホストファミリー

高校3年生オーストラリア

高校3年生の時のオーストラリア遠征

初めての海外はとても楽しかった。

日本にはない景色、建築、空気、全てが新鮮!

英語がうまく話せないけど、それでも思いは通じて、受け入れてくれる。

他の国はどんなだろう?

世界をもっと見てみたい!

世界への興味を強く持ったのは、この時が初めてだった。

すっかり世界と音楽に魅了された私。

 

中高生の私には、「恋愛」のふた文字は無縁。

少女漫画の中のラブストーリーを楽しむだけ(笑)

否、「外見コンプレックスの自分には縁がない」そう思っていた。

 

そんな10代の私だった。

 

 

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