【今の私ができるまで】第3話 「普通」が目標

「自分らしく生きたい!」

「私は幸せになるために生きているんだ!」

 

 

誰もが思っているはず、だけど。

20代の私は「自分らしく生きる」ということを理解できていなかった。

写真は入社2年目、24歳の私。

 

子供の頃は「イラストレーターになりたい」と思っていたが、特別習ったわけでもなく、本気でその仕事に就くことはできないとどこか諦めていた。

普通に大学に行って

普通に就職して

普通に結婚して

普通の暮らしをする。

ぼんやりと「普通」が目標だった。

 

クラブ活動の吹奏楽とフルートのレッスンに打ち込んでいた学生時代。

将来どんな仕事をするか、キャリアデザインも、ライフデザインも全くできていなかった。

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子供の頃から、母は私が地元で公務員か教師になって、適齢期に嫁に行って、子供を産み育てることを望んでいた。

 

私もそうなると思っていた。

 

岡山の人口1000人ほどの山村から、「国際文化学科」という名前に惹かれ受験した大学に合格。

高校卒業後大阪で一人暮らしを始めた。

 

大学を卒業したら、今度は就職が目標となった。

学生時代も終わり、いよいよ社会人として就職をする。

自分が会社を選ぶのではなく、企業に選ばれるために就職面接を受け続けた。

 

「私をどうか雇ってください」

「クラブ活動で、こんな実績を積んできました」

 

ほとんどの企業で、私は全く通用しなかった。

 

縁あって前職の会社に就職をした。

私は大手流通小売業の惣菜部門に配属された。

東証一部上場企業に就職できて、私はホッとした。両親はもちろん喜んだ。

 

私の仕事は日々の業務目標を達成すること。

休みの日はストレス発散。

就職するという目標を達成した後は、会社の職務を遂行することが目標となった。

就職面接の時に言った、「商品開発の仕事をしたいです!」の言葉通り若くして大抜擢もされた。

東京タワーが目の前に見える東京本社のオフィス。

望み通りの商品開発職。

しかし、理想に描いていたものとは違い日々激務に追われる。

自由な発想で商品開発なんて、実際にはできなかった。

会社の方針やしがらみにがんじがらめな仕事に、現実を噛み締める。

朝から夜まで商談、試食、会議、電話、資料作り。

繁忙期は店舗の応援で朝から晩まで現場で作業する。

「私って、こんな仕事をしたかったんだっけ?」

「仕事の目標」はあっても、「夢」なんて思い描くことすらなかった。

自問自答を繰り返し、浜松町のオフィスで私は自分を見失っていた。

何のために、私は仕事をしているんだろう。

友達も知り合いもいない東京。

会社の中でも居場所がなかった。

休みの日は一人で過ごし、全く東京に馴染めなかった。

 

上司はそんな私に気づいていた。

「君は大阪に戻りなさい。」

たった3ヶ月の東京本社勤務から大阪へ異動となった。

 

大阪に戻り、会社を辞めるか、続けるか。

「会社のために生きるのではなく、自分のために生きたい。」

自分らしく生きたい。

パチン、と私の中で何かが弾けた。

そのきっかけとして憧れてやまなかった車、「RX-8」を買った。

この車で人生を変えるんだ!そう決心して買った車。

友達カメラマンハラダシンジ撮影

 

私の人生を変えられたのはこの車がきっかけだった。

こうして私は、「私らしく生きること」に目覚めていった。

 

 

 

 

 

 

 

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