「自分らしく生きたい!」
「私は幸せになるために生きているんだ!」
誰もが思っているはず、だけど。
20代の私は「自分らしく生きる」ということを理解できていなかった。
写真は入社2年目、24歳の私。
子供の頃は「イラストレーターになりたい」と思っていたが、特別習ったわけでもなく、本気でその仕事に就くことはできないとどこか諦めていた。
普通に大学に行って
普通に就職して
普通に結婚して
普通の暮らしをする。
ぼんやりと「普通」が目標だった。
クラブ活動の吹奏楽とフルートのレッスンに打ち込んでいた学生時代。
将来どんな仕事をするか、キャリアデザインも、ライフデザインも全くできていなかった。
子供の頃から、母は私が地元で公務員か教師になって、適齢期に嫁に行って、子供を産み育てることを望んでいた。
私もそうなると思っていた。
岡山の人口1000人ほどの山村から、「国際文化学科」という名前に惹かれ受験した大学に合格。
高校卒業後大阪で一人暮らしを始めた。
大学を卒業したら、今度は就職が目標となった。
学生時代も終わり、いよいよ社会人として就職をする。
自分が会社を選ぶのではなく、企業に選ばれるために就職面接を受け続けた。
「私をどうか雇ってください」
「クラブ活動で、こんな実績を積んできました」
ほとんどの企業で、私は全く通用しなかった。
縁あって前職の会社に就職をした。
私は大手流通小売業の惣菜部門に配属された。
東証一部上場企業に就職できて、私はホッとした。両親はもちろん喜んだ。
私の仕事は日々の業務目標を達成すること。
休みの日はストレス発散。
就職するという目標を達成した後は、会社の職務を遂行することが目標となった。
就職面接の時に言った、「商品開発の仕事をしたいです!」の言葉通り若くして大抜擢もされた。
東京タワーが目の前に見える東京本社のオフィス。
望み通りの商品開発職。
しかし、理想に描いていたものとは違い日々激務に追われる。
自由な発想で商品開発なんて、実際にはできなかった。
会社の方針やしがらみにがんじがらめな仕事に、現実を噛み締める。
朝から夜まで商談、試食、会議、電話、資料作り。
繁忙期は店舗の応援で朝から晩まで現場で作業する。
「私って、こんな仕事をしたかったんだっけ?」
「仕事の目標」はあっても、「夢」なんて思い描くことすらなかった。
自問自答を繰り返し、浜松町のオフィスで私は自分を見失っていた。
何のために、私は仕事をしているんだろう。
友達も知り合いもいない東京。
会社の中でも居場所がなかった。
休みの日は一人で過ごし、全く東京に馴染めなかった。
上司はそんな私に気づいていた。
「君は大阪に戻りなさい。」
たった3ヶ月の東京本社勤務から大阪へ異動となった。
大阪に戻り、会社を辞めるか、続けるか。
「会社のために生きるのではなく、自分のために生きたい。」
自分らしく生きたい。
パチン、と私の中で何かが弾けた。
そのきっかけとして憧れてやまなかった車、「RX-8」を買った。
この車で人生を変えるんだ!そう決心して買った車。
私の人生を変えられたのはこの車がきっかけだった。
こうして私は、「私らしく生きること」に目覚めていった。
[…] 【今の私ができるまで】第3話 […]