【今の私ができるまで】第6話 幸せになる努力

私たちは大阪で友人に囲まれながら結婚式を挙げた。

結婚式でバージンロードをうつむきながら歩く父。

披露宴で父は寂しそうに泣いていた。

 

 

新婚旅行はお互いの好きな街。ヴェネツィアとイスタンブールを訪れた。

大好きなイタリアと、初めて訪れるイスタンブール。

学生時代以来のイタリア!大好きなヴェネツィア!

 

景色、空気感、食べ物、何となく帰ってきた〜という感覚。

ヴェネツィアとイスタンブールを満喫した。

 

 

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生活の拠点は夫に合わせて、関東に引っ越した。

 

夫の仕事はコンサルとスクール経営。

二人分の収入で、暮らしは余裕があった。

 

しばらく、幸せな生活が続いた。

私は幸せだった。

 

ふと気がつくと、私は一生懸命幸せになろうと頑張っていた。

「 頑 張 っ て い た 。 」

結婚して半年後、仕事の方向性が変わり夫の収入が一切途絶えてしまったからだ。

 

 

「私が生活を支えなきゃ。」

そう思う反面、

「なんで私だけ頑張らなきゃいけないんだ!」

「夫だけ好きなことしていてずるい!」

 

生活を支えるために、私は怒りの気持ちを押さえ込みながら一生懸命働いた。

苦しい、苦しい、苦しい。

 

ふとよぎるのは、幼少時代の記憶。

統合失調症で仕事ができなかった父と、生活を支えるために朝から晩まで働いた母。

父に対する怒り。

普通じゃない父。

母が会社へ行って、学校から帰ってもウチにいない寂しさ。

お金がない不安。

 

我慢しなきゃ。

私が我慢すればいいんだ。

会社は仕事が終われば解放される。

お給料日になれば、銀行口座にお給料が振り込まれる。

暮らしは私の収入だけでもなんとか暮らしていけた。

 

「富める時も病める時も、愛を誓いますか?」

 

今この質問をされて、私はどう答えるだろうか。

イエスと言えるだろうか?

 

「私、一人で頑張るのはしんどいよ。」

夫には言えず、言葉を飲み込んだ。

 

私は毎日、自分を押し殺すように会社へ行った。

 

 

私は新しい知識を得るために、フードコーディネータースクールに通うことにした。

仕事のキャリア以外の強みが欲しかった。

 

商品開発やバイヤー、現場の仕事の経験がある私にとって授業はとても面白かった。

レシピ開発、雑誌の作り方、料理写真撮影、器や料理の知識など幅広く学ぶ。

テーブルコーディネートやスタイリングを学び、自分で作品を作り上げ、撮影する。

この授業がとても好きだった。

 

ひな祭りの食卓をテーマにコーディネートしたスタイリングとお料理。

私はテーブルフォトの世界観に魅せられた。

 

「料理の写真ってどうやったらもっとうまく撮れるんだろう?」

授業内容だけでは満足できず、本を買い、友人カメラマンにメールで質問攻めにした。

 

私は写真を本気で勉強し始めた。

 

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スクールの卒業生の方の授業を受けた時、

フードコーディネーターという仕事の可能性を目の当たりにした。

 

 

「もっと私にしかできないような仕事をしてみたい。」

 

 

何かはわからないが私の中でふつふつと、何かがこみ上げてきた。

 

私は夫とスクールの先生に、転職の相談をしていた。

新しい仕事の可能性に目覚めた私は、もう我慢できなかった。

「私も好きな仕事をしたい!」

「自分にしかできない仕事をしてみたい!」

思い切って、上司に退職を申し出た。

 

上司にはもちろん思いとどまるよう説得されたが、気持ちは固まっていた。

 

実家の母にも電話をして、転職したいと伝えた。

すると母からは思いもよらない事実を伝えられた。

「お父さん、また病気なんよ。」

 

父は統合失調症と鬱を再発していたのだった。

私の脳裏に過去がフラッシュバックした。

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