熊本地震のチャリティーフォトセッション企画があることをFacebookで知った。
チャリティーという企画に賛同するとともに、私は「お二人に実際に会いたい!」と恋にも似た気持ちで参加希望のメールを書いた。
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菅原宏さん、笑美子さんを知ったのは、Facebookでお二人のフォトセッションの記事を見たことだった。
自分自身の写真の方向性、写真家としてどうあるべきかを悩んでいた時期だった。
第一線で活躍している、写真家菅原宏さんと、モデルとして「人の心を引きつける表現者」菅原笑美子さん。
撮る人と撮られる人。そのお二人にとても興味を惹かれた。
不躾にも即座に友達申請をし、菅原宏さんからメッセージをいただいた。
写真家になられたのですね。 今はカメラや機材も高性能になり、ご自身の感覚やセンスがあれば写真家になるのも可能になってきました。 いろいろな人が、様々な形で表現をできる、それをお仕事にできる。 とても素晴らしいですね!
僕は独立してから20年になり、その前にスタジオアシスタント、そしてフォトグラファー個人のアシスタントを数年していました。 そんな僕ですが、未だに勉強の毎日ですよ。 カメラやレンズについて。 フォトショップについて。 ライティングについて。 新しい機材について。 人について。 英語を含めたコミュニケーションについて。 。。。etc。 川口さんもぜひとも頑張って学んで、そして持っているものを人に手渡していってくださいね。
ご多忙なはずなのに、これほどまでに心のこもった熱いメッセージ、激励の言葉を親身にくださるお人柄に一気にファンになった。
なんて器の大きな人だろう。もし私が逆の立場だったら、こんなにも丁寧な返事を返しただろうか?
それから菅原宏さん、と菅原笑美子さんのブログやFacebookの記事を片っ端から読んだ。
お二人の生き方、写真に対する思い、ポートレイトフォトセッションは共感することばかりだった。
ポートレイトフォトセッション…
「真」を捉える写真家が
あなたの「真」を引き出す時間です。そこに浮かび上がる
この世にたったひとつの
あなたの人生の物語
私もポートレイト・プロフィール写真を撮ってきたが、なんとなく言語化できていなかった部分だった。
そうだ、私は写真を通して決して作られたものではなく
その人の生きてきた時間、その人自身の内面、その人となりを写したいのだ。
彼らの写真に対する思いを目の当たりにして
私は写真に対する思いが熱く、溢れていくのを感じた。
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フォトセッションに申し込み、いざ当日。
スタジオセットを組んであったマンションの一室は、驚くほどシンプルだった。
ストロボは一切なく、あるのはレフ用の白い布、背景用の布、スタンド、三脚、モニター用のMac。そしてカメラとレンズのみ。
あとは温かいハーブティーに枝付きレーズン、フルーツを用意してくださっていた。
お二人に会えるということ、自分が撮られる側ということでとても緊張していた私。
穏やかに流れる空気、会話。
言葉の端々に垣間見える、宏さんの写真家としての生き方。笑美子さんの表現者としての探究心。
そしてどこまでもニュートラルで自然体。
私がこう在りたいと思う写真家とは、今私の目の前にいるお二人なのだ。
ファインダー越しにお二人と会話をし、私の思いを伝える。
私の心が表情となり、写真として写る。
写真家として生きるという決意。
笑顔だけではない、今のわたし。
悩みもある、迷いもある。
辛いことも楽しいことも。それでも写真家として表現者となることを選んだ、今のわたし。
実際には15分ほどだったと思うが、撮影はとても長く感じた。
撮られる、また、撮らせる、とはこういうことなのか。
いつもカメラを向ける側だからこそ、味わえない貴重な時間。
とてもとても、心に残る素晴らしい体験だった。
ひとつ、答えを見つけたような気がした。
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和やかに撮影が終わり、片付けをお手伝いする合間に是非とお願いしてお二人を撮らせていただいた。
この日、わたしたちは
写真家とモデルとして
フォトセッションをサポートしていたけど2人でこうしてくっついた途端
写真家としてどう構図を決めようとか
モデルとしてどう美しく写ろうとか
職業も役割も計算もなーんにもない
「ひとりの人間」になるどんな風に写るか?ではなく
なにを感じるか?を感じる
最高にハッピーな笑顔の写真になった。
musée de la photo 004 「真」を写す。写真家菅原宏さん model菅原笑美子さん